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2008年1月

いじめ

「いじめ」ということばは、なんとなく不潔だ。近寄りたくない。

     毎日
     いじめられる
     少女は
     顔を埋め
     泣いた

     無表情なのは
     感情が
     ないからではない
     心の壁が
     厚すぎるのだ

「いじめられるほうも悪い」というが、当然ながら、いじめるほうもいじめられるほうも両方とも悪いに決っている。今更ながら「いじめ」という関係に安住しようとする、想像力のなさには辟易だ。

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他人事

見て見ぬ振りを赦される社会に、わたしたちは生きている。

     戦争を
     他人事として
     遠巻きに
     見物できるまでに
     世の中は進歩した

     ぼくでなくて
     よかった
     殺されるのが
     飢えて死ぬのが
     ぼくでなくて

     寄ってらっしゃい
     見てらっしゃい
     自由と正義を賭けた
     最後の戦いだよ
     さあお立会い!

いずれ、自由と正義を司る神によって、わたしたちは滅ぼされるだろう。

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ネオリベラリズム

気づいた時には手遅れになりかねない、沈潜する病。

     グローバリズムという
     感染症が
     地球に
     静かに
     蔓延する

     それぞれの
     不幸の度合いの
     バランスと配分で
     世界の安定を
     図る

     自由と
     平等を
     唱えるものは
     それを謳歌できる
     強者のみ

格差社会ならまだしも格差固定化社会到来となると…。

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金曜の夜

金曜の夜は、深夜電力時間帯に洗濯とアイロンかけをする。23時から始めても終わるのは日付が変わってるしまうことも。

     ふわーんと
     おおきな欠伸して
     おめめをしばしばさせて
     仔猫は眠たい
     週末の夜

同居している猫には御迷惑様。今夜は寒くて爪先が痛いくらい、さっさと寝よう。

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片岡球子女史

訃報。

葉山の美術館での、100歳を記念したおおきな個展に女房と出かけていった。もう二年前か。

     こどもが描くような
     おおきな富士を
     おとなも描けない
     おおらかさで
     描ききる

合掌。
     

     
     

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癒しブーム

昨年、河合隼雄先生が亡くなった。

     本当なの
     本当なんだ
     さみしいの
     さみしいんだ
     カウンセリングの基本

ここまで露骨だと気持ち悪いが、基本は「共感」と御本にお書きになられていた。

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CELEBRITY F○CKFEST

ちょっと人に云えないような動画を視た。

     いろいろ
     経験したけれど
     いままでで
     いまのきみが
     いちばんエッチだよ

これが口説き文句になりえるのかね、未だに?

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ジョンの後継者

ジョン・レノンが殺されて27年。その間なんの反省もなく「愛と平和」を冠せられてきたジョンだが、ここにきてようやくその「汚名」を晴らすような動きが確認できる。紙ジャケ、映画『PEACE BED』『チャプター27』、ちょっとズれるけどあの「大木にしがみつく蝉」ポーズを撮ったアニー・リーボヴィッツの『レンズの向こうの人生』…。

     殺されて
     なくなったいのちと
     それでもなお
     人々のこころに
     生き続けるいのちと

ジョン・レノンが「愛と平和」なんざ聞いて呆れるわい!わたしにとってジョンは「狂気と絶望」「怒りと悲しみ」の人。『ジョンの魂(通称『ジョン魂(たま)』)』をきちんと聴け!

そして後継者達の音を! ア・パーフェクト・サークルの『イマジン』は好例。   

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厳冬

寒波来襲!ここ一週間は寒いのなんのって、温暖化の心配要らないくらい?! これで平年並みなのぉ?

     湯たんぽの
     ぬくもりを
     飼い猫と
     分けあって
     丸くなる

猫は寒いのが嫌い。昨夜は毛布もう一枚引っ張り出して、ふたりして眠った。休日出勤の今朝、寝坊した。

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人間ドック

人間ドックに行ってきた。

     観念して
     人間ドックに行ってきた
     痛くもない
     腹の底まで
     探られた

「呑まない/打たない/買わない/喫わない」の超模範的生活者のわたしにとって、わざわざ身体の悪いところを探すという考え方自体理解できない。「とくに異常はありませんな」って、偉いお医者に云われなくても、「健康なんだから健康ですよ」としか応えられない。

こう書くと「患っている人を思いやれ」とか「健康だからって威張るな」とか茶々入れる人がいる。

だからね、わたしにとって健康は「目的でなくて手段」なんだよ。やりたいことをやるための前提なの。健康になるために努力してるんでなくて。いろんなこと学んで、いろんなスキルを身につけて、…っていう不断の努力の中に「健康」って条件もあるの。その上でやりたいことにチャレンジしてるんです。

「健康が絶対」とか「なにはなくとも」と主張してるんじゃないんだよ!

病気を患ってる方は、その方なりの手段と努力で目的を達成すればいいの!その手段や目的がが健康な人と異なっていても、それでいいの、それが当り前なの。というか人はその人なりの生き方を精一杯生きるしかないんだよ。

「病人の身になって考えろ」「病人の立場を」なんてしたり顔して非難する奴らこそ、他人の人生を矮小化して憚らない失礼な存在。びよきになって市ね! 
     

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悲喜劇

『渥美清の泣いてたまるか』を視る。昭和40年代のテレビドラマ。脚本もしっかりしていて(この回は橋田寿賀子!)、毎回見応えのある一話完結もの。毎回渥美が主役を演じ分けるのだが、その熱演ぶりに思わず引き込まれてしまう。渥美清という役者の魅力はなんといっても、その誠実さじゃなかろうか。このドラマの後に始まる『寅さんシリーズ』も、誠実に、熱意を持って演じていたのだ。

     車寅次郎という
     ペルソナに
     なぞられ語られてしまう
     渥美清という
     役者の悲喜劇

「盆暮れには寅さん」とまで、一時は風物とまでなったシリーズではあったが、映画の質そのものは数を重ねる毎に下降。完全にマンネリ化したシリーズ後半では、何度も失恋を繰り返す万年モラトリアムの寅次郎が甥っ子満男の恋の指南役を務めるというアイロニーを許すまでに低下した。

「渥美清イコール寅さん」としか語られない今となって、ある意味、役者/渥美清は観客によってその才能を食い潰されたとしかいいようがない。
渥美自身、「イメージを損ないたくない」という理由から『男はつらいよ』以外の仕事を拒否していたというが、それ以上に世間の善男善女が強烈に求める「寅さん」のイメージを演じ続けざるをえなかったのではないか。永遠の放蕩息子であってほしいというプレッシャー。

では誰の息子であったか。観客の、である。ファンである世間のおいちゃん/おばちゃんが、大人になりきれない寅を、寅ちゃんを必要としたのだ。いやおじ/おばだから、息子ではなく甥っ子か。だからこそ無責任になれる訳だ。いつまでたってもダメな寅、モラトリアム寅ちゃんが頼る、心優しい善良なおいちゃん/おばちゃんという立場に安住し続けたいが為に。

そして寅次郎は大人へと成長することなく、そして無責任な立場にあるおいちゃん/おばちゃん=観客は、寅次郎を大人へと育てあげることを拒否し続け、終には主演/渥美の死亡により、寅次郎はなにひとつ、恋愛ひとつ成し遂げることなく、シリーズは終了となる。

不幸は、凡人にとって「ルーチンこそが快感」であるという事実に尽きる。成就しない願望を抱き続け右往左往すること自体、凡人にとってはひとつの達成事業なのだ。来る日も来る日も繰り返すそのこと自体が、なによりも安全であり平和であることをよく知っている。「成長」が変化・変革をもたらすということも。

寅次郎を大人へと成長させられなかった社会はどうなったか。それが現代である。

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いよっ!大統領!

まず……女性や黒人が米国大統領になれるとほんとに思ってる?!
まっ、候補者として名を連ねたということだけでも大したものかもしれないけど。

     この柵の
     内側では
     白い羊も
     黒い羊も
     みなおなじ

もっと云えば、ヒラリーv.s.オバマといっても、あくまでも民主党からの候補者を選ぶだけの話。一方の共和党は、いま「女性か黒人か」のニュースに隠れてるはいるけど、手を拱いている訳ないじゃん。最悪なのは「民主党からでなく共和党から」を実現すべく、なんかしでかさなきゃいいけどってこと。つまり「現体制(共和党政権)を維持せざるを得ない」ような事態に追い込む馬鹿げた秘策を、さ。想像つくでしょ?!

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オーラ、オラ!

「スピリチュアル・ブーム」っていうんだって。「オーラが見える」とか「守護霊が」とかで「癒しを得る」っていうこの流行。

     オーラだとか霊が見えること自体が
     問題じゃない
     見えたことを真理だと
     主張することが
     問題の本質

いいじゃん見えたって。世の中にはオーラどころか、UFO見た、幽霊見た、ネッシーがいた、宇宙人に遭った、マリア様が降りてきた、……なんて主張する人はいーっぱいいるんだから。

オーラだとか霊とかに限って云えば、当然見えない人だっているんだから、そうなると「見える/見た」という事実について、検証可能性がない訳じゃん。客観性・普遍性が担保できないんだから、「ある/ない」で云えば、「ない」「ない」もしくは「不可知」と判断すべき。
「いや特殊な能力をもっていなければ見えない」というのならば、「ああそうですか」としか応えようがない。後は(ここからが重要)「見えると主張する人」を信用するかしないかの話でしかない。

それは、神を、守護霊を、オーラ云々を信じること自体と、重ならないとは言わないまでも微妙に異なるんだよ。実際なぜ信じるの?と問うと、必ず「優しそうだから」「誠実そうだから」「嘘ついてるようにみえない」とか、主張する人の人柄への言及がほとんどじゃん、なかには「有名だから」とか(あっはっは/大笑い)。神とかその世界観自体を理解して受け入れているんじゃないんだな。

彼らの物謂いで一番気に入らねーのは、今の社会に通底する価値観の域を外れたことは絶対主張しないこと! オーラだ悪霊だとか「物質界とは異質な」「霊の世界に不可能はない」とか偉そうに云いながら、結局最後は「周囲に優しく」とか「両親を先祖を大切に」とか、通俗的な道徳観から外れたことは一切云わない、なんじゃこりゃ!、である。二昔前の道徳教育かいッ!だからこそ受け入れられるんだろうけど。

まっ、通俗的な道徳観の枠内でといえば、五行歌の大半も……あわわ、いまのNG!!

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Children of the Revolution

誰だよ「こどもは天使だ」なんて云った奴あ!

     こどもの
     視線は
     天国ではなく
     地獄に
     より近い

     こどもの
     率直さが
     腹立たしい
     時も
     たしかにある

まあ、こちらの側の受け取り方にもよるけどね。「こどもに罪はない」とか「全然悪くない」とか、ほざいてる奴らこそ呪われよ。
   

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真実の意味

なにが真実なのか、誰か知っている訳ではない。にもかかわらず、真実とはなにかと絶えず問い続けている。

     報道が
     マスメディアが
     この世のすべて
     染みひとつない
     唯一の真実

いや「報道されたこと」が唯一の真実でもいいんだよ。約束事として同意できるんならね。 

     あくまでも
     偽りなく
     無垢で
     脆く危うい
     わたしのいのち

その代わり、失うものがたくさんある。数として数えられないけどね。

     あなたが
     自身である
     証となり得る
     証明書など
     ありはしない

 

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係累

嫌だ嫌だといいながら、切り離せない事情。

     電話口で泣く
     母さんの
     恨みと
     悲しみの
     嗚咽

     身内の
     気がかりを
     握り潰したまま
     人前で
     涼しい顔できない

「辛い経験が、その後の人生を豊かにする」なんて嘘だよ。経験しなくて済む人生なら、それに越したことはない。

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わたしの死

いつかきっと向かい合わざるを得ない自分の死。

     人間は
     死ぬが
     わたしは
     死なない
     死にたくない

     わたしでない
     誰か他人の死
     罰を免れた
     罪人のような
     後ろめたさ

この「後ろめたさ」の為に、それが故に、宗教に走る人たちは神に祈ったり他人に施したりしたくなるんだと思う。 

     まもなく
     わたしは
     無抵抗のまま
     跡形もなく
     消えてゆく

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THE BEATLES

ジョン・レノン関連の映画が立て続けに公開されたり、ポールも久し振りに本気のアルバム作ったり。

     それについては
     すこしの間
     放っておこう
     なるように
     あるがままに

いまさらビートルズなんて放っておいていいんだけど、きちんと新しい音を届けてくれる元メンバーがいる限り、つきあっていかざるをえないんだろうな、これから先も。

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エロス的表現

エロスを描くことに、多くの女性が失敗しているのは御承知の通り。セックスを描こうとすればするほどセックスから逃れられなくなり、セックスなんてどうでもいいとする女性にとって、エロスなんてどうでもいいこと。

     あなたに
     注ぐ
     わたしの血は
     真白で
     熱い

エロスとは感覚の質である。感覚そのものではない。

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基督教批判

信者の方はお読みいただかなくて結構です。

     基督教が
     血なまぐさいのは
     イエスを
     きちんと
     埋葬しないからだ

     彼を
     十字架から
     解き放ち
     大地に
     横たえよう

神の子が犠牲になってくれたから、俺たちは赦されたとする、野蛮な思想。

     それぞれに
     神を
     信じているもの同士で
     なぜ
     殺しあうか

馬鹿である。  

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寝正月

ああ朝から何にもせんなあ。陽だまりに半日。『おでんくんスペシャル』視て、猫がやってきて、インターFM聴いて、長閑といえば長閑。平和といえば平和。怠惰といえば怠惰。

     何もしない
     平和ボケといわれようと
     正月ボケといわれようと
     今日は何もしない
     ああ何もしない

昨日女房と「あしたは散歩行こう」と決めていたんだが、もう日も落ちた。またあした。
     

  

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1月2日

酒呑みという奴ぁ扱いにくくてしょうがねえ。話は通じねえ、糸引くほどしつっこい、言い出しゃあ後へは引かない、とキリがない。年始は「朝から酒」なんだそうだ。まあ「正月だから」と、醜態ぶりも大目に見るも、それが身内ともなりゃほんと情けないだろうな、気持ちはわかるよ奥さん。

     酒呑んで
     忘れられるくらいの
     煩悩ならば
     却って羨ましい
     年始廻り          

呑んでいられる間は、酒呑み本人は幸福なんだろうよ。身内の不幸も忘れられるくらいに。連れ合いは、この上更に不幸になりたくないからと、そんな呑ん兵衛でも庇ってやってる、ほんとにお気の毒さま。
     

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2008年1月1日

ここ関東南部では、穏やかに晴れて、風さえなければ陽だまりでは暖かいくらいの元日。わが家は初詣も年始廻りもなにもなし。あと5日もすれば、また相変わらずの日々が始まる訳で、なにがそんなにめでたいのかね。「年に一度だから」?それをいうなら毎日が年に一度、どころか一生に一度しかないんだよ。

     酒呑みと
     お年玉目当ての
     子供ばかりが
     にたにた笑っている
     唯のお正月

猫が、行くところもなく日なたで寝転んでいる。かけがえのない一生に一度の元日、それに限る。
     
    

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