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2008年5月31日 (土)

コミュニケーションブレイクダウン

全然わかりあえない人という存在も、確かにいる。いま生きている人の中に(もちろん日本国内の、若い人や子供に限らず。

     他人の痛みを
     知ろうともしない
     想像すらできない
     そういう心性を
     生み出した社会

まず感じ方・受信側の感性が異なっているように思う。自分以外の人間がいる、その人間も、自分とおなじように考え・感じ・生きていると、どうやらそいつらには思えないようなのだ。ことばの問題だけでなく、たとえば自動車の運転。ウインカーを出さずに曲がる、ハザードランプなしでいきなりバックする、交差点の真ん中で停車して乗降、……。

コミュニケーション不能ということは、ことばがそもそも通じないということ。通訳とか翻訳とかそういうレベルじゃない。互いに日本語を使っていても、その意味どころか構文そのものが理解できない。

     他人を真似るとか
     手本にするとか
     気持ち悪いけど
     認めていかないと
     文化は衰退する

「あの人いいな、かっこいいな」「あんなふうになれたらな」と憧れや希望を抱く、理想のモデルとなる存在を見定める、というのは、実に安易安直な目標設定かもしれないけど、人としての生き方、血の通った生き様として、間違えの少ない、より賢い方法なのではないか。

むずかしいことばや複雑な手続きを覚えることで、一人前の人生を歩むことができると思ったら大間違いだよ。やっぱり生身の人間との交流、コミュニケーションが、どんな人生においても最低限必要なのだ。

コミュニケーションの究極の目的は、文化を継承し続けることか。

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