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2008年11月23日 (日)

こども教

「こどもは無限の才能に満ちている」等、こどものポテンシャリティを過剰に訴える時事評論家・教育者がいやがる。ウソ臭い。

ことばの定義はともかく「才能に溢れている」こどもたちが、なんでこんなにたくさん同じ学校に通い、おなじ評価軸の中で四苦八苦してるのか。既存の枠に収まりきらない「出過ぎる釘」こそが才能ではないのか。

     こどもは
     無限の可能性を
     秘めていると
     実証性のない作りごとを
     騙る評論家

むしろ「ほとんどのこどもは凡才にすぎない」、多少でこぼこがあれ、どんぐりの背比べでしかない場合がおもなはずだ。

     平凡であることが
     どれほど
     幸福で
     安心できることか
     己をみよ       

才能とは、本人はおろか、親や教育者にも手に負えるものではない。ピカソを見よ。モーツァルトを見よ。その生涯は波乱に満ち、周囲は、遠くから見守るしかなく、しかもその評価は後世に委ねるしかない。「こどもの才能でひと儲け」なんてのは、見世物小屋の興行主と変わらない。

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コメント

美弥さん、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、おとなの世界もこどものそれと変わりありませんね。
日本の社会で、会社内で、学校で等、狭い世界の中で「個性の尊重」「オリジナリティ」を叫んでいるだけで、「みんなが黄色い帽子を被ってる中で、赤い帽子を被ったら個性」みたいな、小手先の差異をありがたがっているだけのように感じます。
それを備えてる人からすれば、才能なんて「有難迷惑」なものでしょう。だってそれによって「理解されず、孤立し、それでもやめられない」。シシュフォスの如く、岩を持ち上げては…を繰り返すんですから。
親としては、平凡であることを、むしろ喜ぶべきです。平凡であることもひとつの才能なんですから、ね!?

投稿: joshuaki | 2008年11月23日 (日) 17時50分

はじめまして。美弥と申します。五行歌HPでは「やまぼうし」でお世話になっています。あまり教養の無い私が触れば、火傷しそうなjoshuakiさんのブログを時々おっかなびっくり拝見させて頂いておりました。
同じ評価軸の中で苦しんでいるのは大人も同じですね。そして大人社会では出る釘は打たれる。だから、まだ経験値ゼロに近い自分の子供に万に一つのダイヤの原石を求めてしまう親の気持ちを鼓舞させて、教育産業も成り立っていると思います。うちの主人などは『フツーでいいよ』と言いますが、私もそう思います。本当のところでは、です。
火傷してたら消火しといて下さい^^;

投稿: 美弥 | 2008年11月23日 (日) 15時12分

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