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2008年12月

2008年12月31日 (水)

年末の大掃除

古くなったスーツをすべて捨てることにした。

     古い服を
     捨てましょう
     古い上着の
     ポケットを
     空にいたしましょう

年が明けたら、デザイナーブランドの、それこそ高価なスリムスーツに買い替えようと思う。

     明日から
     一日から
     誰も知らない
     新しい年に
     衣替え

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あなたの歌

「実感と客観性」という題で書いてきたが、つまりは「無意識」の問題についてであって、そう書けばよかったのだけど、なかなか伝わらない部分があって。

「あっ、ぼくも同じように考えてました」とか「わたしにも同じような歌があります」なんてたくさんの人から言われます。

でもそれは、わたしからすればあたりまえのことで、わたしなりに説明させてもらうなら「あなたの無意識を反映しているから」としか答えようがないのです。時代の空気であるとかそれに翻弄される人々の閉塞感であるとか、そういうものをいわば代弁している部分が多くあると思っています。

そもそもわたし自身のオリジナルのアイデアであるとかオピニオンであるとか、そういう意識はありません。ある意味「書かされている」というのが本音でもあります。

自分の詠んだ歌でありながら、自分のものではない。そういう思いが多分にあります。

     わたしは
     わたしのために
     歌わない
     わたしの歌は
     すべてあなたの歌

なので、半分本気でミューズの存在を信じています。わたしが書いているのではない、わたし以外の意志が働いていると。

しかしこう書くと、また勘違いする人が出てくるんだよな、「テレパシー」とか「神懸かり」とか。

     

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2008年12月30日 (火)

実感と客観性Ⅱ

前回ちょっとわかりにくかったかな、説明不足でした。

歌を詠うという表現行為は、当然「伝えたい」という思いが大元にある訳です。

じゃあ何を「伝えたい」のかです。わたしの場合そのひとつは、わたし自身の経験に基づいた感情とか思い・考えの中で「これは他人と共有したい/共感が得られる(んではないか」という部分を歌にする、というかその部分が「歌になる」んです(この「歌になる」についても説明が必要なんですが、それは今は置いといて)。大げさに言うと「普遍性」、というものを大事にしてるつもりです。

普遍性といっても、「そうそう!あるある!」なんて、単に常識的とか規範的とかいう意味ではありませんよ。かといって流行やファッションに無縁ともかぎらない。

人が、こころの中で思っていても表現しない(たとえば口にしない)、抱いているのに自分でも気づかない思いとか感情とかを抉る、というか突く、そういう歌。

だからモノによっては後味の悪い/印象の悪い作品と感じる人も当然いらっしゃるでしょう。万人受けしないのはもちろん、わたし自身居心地の悪い歌もあります。

露悪的な趣味はないのですが、どうしてもそういう作品を選んで載せてしまう(発表していまう)ところがあります。

なぜならば、そういう人間の暗部はわたしにもあなたにも存在(普遍的に)するはずで、あえてそれと直面することで得られるものがある、そうする必要があると思うからです。

いまの時代、こういうブログとか、なんでも自分の好き勝手に表現でき、好きなようにモノを言ったつもりになれるしくみが世の中に溢れています。自分の都合のいいように、気持ちいいように、なんでも自由に操れると錯覚してしまうような、でも絶対にそうはならないカラクリ。そういう中で、目を覚まして耳を澄まして、自分がどこにいて、何をしているか/自分のしていることは自分にとってどういうことか、意識していることはとてもむずかしい。

うっかりすると日常に流されそうになる自分を叩き起す刺激が必要です。誰かに頬をつねられてその痛みで気付くこともあります。

そういう意味で「安全な」覚せい剤(ものすごくことば悪いですが)として服用していただくと、まあ「良薬口に…」とはいいませんが効用があるものと自負しています。

そういう訳で、わたしの歌がどうも気に入らない/なんとなくムカつくついう方、ある意味それは思う壺ではありますので(笑)、どうかあまり真に受けないように、ご注意ください。

     目を開けていれば
     目覚めているとは
     限らない
     目に見えない
     気づかないものの脅威

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2008年12月27日 (土)

この不景気に…

日本人って臆病だから、「不況」「不景気」なんてことばがはこしでも耳に入ると、すぐに反応して①お金使わない(貯蓄に回す)、②まじめに仕事に励む(遊ばない)、③出かけない(巣ごもり)と、亀の頸引っ込める。

これらの反応って、不況対策としてはどれも最悪の選択。日本の場合、内需低迷が大元にある訳だから、①お金使って世の中に金の流れをつくりだす、②仕事はもちろんどしどしするけど、稼いだ金をどんどん遊んで使う、③外に行って豪勢にお買いもの・外食…、単純に言っちゃうと、こうしないと内需は拡大せず、景気は回復しない。

こないだまで「引きこもりは×!」「いまどき仕事人間なんか必要ない!」って云ってたクセに、この変わり身の早さ。

     でも
     わたしだけは
     ちまちまと
     小銭を大事に
     隠し持ちたい

そういうことでは社会に貢献できないよ!……えっわたし!? わたしは、そのぉ…。

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抱き人形の着せ替え服をオーダーメイドしてくださるアトリエみねさん。

 → http://atoriemine.blog43.fc2.com/blog-entry-24.html

お人柄同様、お仕事が繊細・丁寧で行き届いている。女房ご用達。

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実感と客観性

わたしの歌を誤解されている方が多くいるようです。

     待ちに待った
     朗報に
     感謝は二の次に
     ただひたすら
     よろこびに浸る

と詠んだとします。この時、わたしは実際に「よろこびに浸」っているか。

そんなことはないですよね。歌を詠むという行為は、たとえば自分の感情とかなんらかの経験を「対象化」することです。その感情に溺れていたり、経験自体に没頭していたら、歌なんか詠めません。人は何かを表現するときに、多かれ少なかれ、意識するしないに限らずこういった手続きを踏んでいるんです。

よく「ことばにできない」とか「表現しきれない」といいますが、これはその感情や経験をことばや他の表現手段に、思うように置き換えられないということ。これは当たり前で、表現したいコトそのものと表現されたモノとのあいだに差異は発生します。

云いたいのは、わたしが詠んだ歌は、必ずしもわたし自身の感情や経験の裏付けがあるとは限らないということ。どちらかというと、いろんな考えの中で「こうもいえる」「こんなふうにも考えられる」というモノの見方のひとつを提供してるとお考えいただけるとよいかな、と。

     真に受けると
     馬鹿をみる
     ことばのあや
     思わせぶりな
     揚げ足取り

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お金は必要悪?!

あ~しつこい。でも徹底的に考える。考えても考え過ぎることはないテーマではある、が疲れる。

     お金が
     必要悪としたら
     善意の寄付とか
     チャリティ募金とか
     どういう位置づけ?

えーわたしとしては、お金自体は善でも悪でもない/遣い方の問題だ、という立場をとります。まあその人の意志・意図をどれだけ正確に反映するか、ですね。

「なんかしらないけどぉ、この団体に寄付したらぁ、アフリカとかどっかのぉ貧しい人がしあわせになれるんだってぇ」と○鹿まるだしのへそ出しネエちゃんはともかく、募金活動ひとつとっても、どんな団体が主催して、どんなことに使われるのか、こちらが意図したとおり寄付金はちゃんと使われているのか、できれば会計報告を求める……云々など、責任あるおとなとして当然為すべきことではあります。が、まあ普通はやらない。めんどくさいから。

ので結果、ユニセフ等ある程度名の通った団体に寄付しときゃ「まあまちがいないだろ」と、手軽にコンビニ感覚で慈善活動も行える、というのが現代で。

この善意自体、なんら非難されるべきものでも恥ずべきものでもないのですが、それを実現する手段(の選択)において、きちんと果たすべき責務が発生するんですね。それ自体が「目的を持たない」にもかかわらず「何にでも変わり得る」しかもどこにでも「流通可能な」お金という代物を扱うにおいては。

かつて(何度も引き合いに出すけど)「お金儲けは悪いことですか!」と開き直った輩がおりましたが、わたしならこう応えますね。「金儲け自体が悪いのではなく、悪いやり方とよいやり方があるだけ」だと。

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2008年12月21日 (日)

お金がなくても生きてゆける?

我ながらしつこい(笑)。

     なるほど
     お金がなくても
     生きてゆけるかと
     うなづける人が
     どれだけいるか

このご時世。

終戦直後でもあるまいし。どこぞの海外の話ではない。ここ日本で、いま現在の話として、だ。

なぜ「お金」に拘るかを見誤っては、この問題を正しく捉えることはできない。有り余るほどの財貨を求めているんではない、この時代に生きてゆくだけに最低限必要な条件として、「お金」という生活手段は欠かせないでしょ?!ということ。

それなしでは生きてゆけない「水」だとか「空気」だとか、生物にとって生きる上での必須条件とは異なる。人間が、その社会を営む上に必要なものとして設定したルールであり条件なのだから、

その社会に生きながら、「(生きるための手段である)お金なしでも生きてゆける」という主張は成り立たない。

「お金はすこしでも生きてゆく為の工夫はできる」とか「お金がないなりに生きてゆく具体的な手段は…」とか、なら話はわかる。貨幣経済に順応したよいおとなが「お金なしでも」と嘯く(またそのことばに疑問を抱かない)様は、見ちゃいられない。世の中をリアルに観察していない証左、と言われてもしかたないよ。  

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2008年12月20日 (土)

お金がなくても幸せ?

「お金がなくても幸せ」と云える人を、わたしは尊敬する。

     お金がなくても
     幸せ
     かもしれないけど
     お金がなくては
     生きてゆけない

しかしお金がないが故、住むところを追われ、明日どころか今夜の夕飯にもありつけない困窮の極みにある人もいるという事実。

     幸福とは
     もっともっと
     倹しく
     ささやかで
     ごく個人的なもの

だから、他に同意を求めない、主張しない/できないはず。

幸福である前に「生きている」こと、「生きられる」ことをまずよろこぶ。そういう世の中になった。でもそれが人間の生の本来の姿に近いのかもしれない。

     寒くないか
     ひもじくないか
     どこか痛いところないか
     なにかに
     怯えていないか

この4つのこと。これだけを解消する/できたら、どれほど生きやすい世界になるだろう。

     すべての人々が
     幸せになるためには
     世界の半分の人に
     幸せのうちに
     死んでもらわなければならない

  

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2008年12月14日 (日)

飛ぶ鳥

車の前を飛び去る鳥。羽ばたく様の美しさ。

     鳥の
     羽根の
     しなやかさ
     羽ばたくものの
     持つ美

     羽ばたく
     空をゆく
     風と大気を
     感じられるもの
     美しい鳥  
     

  

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幸福の基準

休日の10時前、開店前に近くのカフェで時間を潰している。ガラス越しに街行く人々を眺めている。

     カフェの前を
     通り過ぎてゆく
     たくさんの人々を
     ぼんやりとみつめている
     このありがたさ

     カフェの前を
     人々はそれぞれに
     歩み去ってゆく
     このなんでもない
     世界の尊さ

かつてD.ボウイが『ファイブ・イヤーズ』という曲の中で、もっと切羽詰まった感じでおなじようなことを歌っていたように思う。

 http://jp.youtube.com/watch?v=louXPUW7tHU&feature=related

     いまここに
     こうしている
     この状態に
     満足しているか
     幸福の基準

「どういう状態でいることに満足できるか」ということ。そういう意味でわたしは幸福ではない。

     もっと
     幸福に
     もっともっと
     自由に
     欲張りに

強欲さは不幸のはじまり。欲張りな人は決して幸福にはなれない。
    

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2008年12月12日 (金)

おおきなおつきさま

今夜、おつきさまは地球にとても近づいてるらしい。気のせいか明るい夜。

     オツキサマ
     コンバンハ
     サムイヨゾラヲ
     アカルクシテクレテ
     ドウモアリガトウ

いや「気のせい」ではなく、明るさも大きさも数値上、普段より上がるものらしい。いつもよりおおきなおつきさまっといったって、この距離じゃ実感できないが、たしかに今夜の月の光は特別だ。

     冬の静けさ
     高く昇った 
     おつきさまの
     あおいひかりに
     照らされた夜
     
     
     
     

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愚かさとは

「無知の知」といいますが。

     賢くなろうと
     努力する愚かさと
     自分のいたらなさ
     愚かさに正直である
     賢さと

賢くなろうとすると、いつかどこかで「賢い自分」を演出したくなる、周囲を欺きたくなるんです。自分の愚かさに気づこうと思っていれば、「愚かなまはあたりまえ/それに気づいたら直してゆこう」と前向きにもなれる。

まあ「どうせわたしは馬鹿だから…」と、ひねくれてしまう人が多いんだろうけど。

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2008年12月11日 (木)

好物

思いっきり下世話なネタをひとつ。

     この歳になって
     この季節
     芋・根菜・豆がうまい
     胸やけがひどいのが
     珠にきず

ほんと、「うまいなあ」と思えるのはこういうもん。元々淡白な人間だが、歳をとるにつれ肉とか脂っこいものは受け付けなくなった。幼馴染はいまだ「焼き肉ならいくらでもいけるよ」というが、とてもついていけない。

その昔ハードロック少年も、いまやこんなの聴いてる。

http://jp.youtube.com/watch?v=VJTstnyR6vc&feature=related

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2008年12月 9日 (火)

自制の効かない人

そういう人は、いろいろともっともらしい言い訳をする。

     この苦痛に
     引っ張り込みたいと思う
     でもそれは
     他人にとっては
     ただの妄想

他人からどう見られるか、自分の姿を客観的に想像できなければ。ピンチの時「わたしはわたし」と泰然としていられる人は、それが身についている。身の内に他人の視点がなければ
、却って自分を見失う、この矛盾こそが肝。   

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悩むということ

誰かに相談すれば解決するとか、打ち明けることで解消するようなものは、悩みのうちにはいらない。

     誰かに相談したり
     アドバイスされることで
     ただ安心したいだけ
     その悩みはなにひとつ
     解決していない

他人に頼れることと、それの叶わないことがある。自分に与えられた課題は自身で受け止め、きちんと「悩む」べき。須く不安やさみしさをこそ味方とすべし。

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2008年12月 6日 (土)

「携帯禁止」に思う

どっかの自治体の長が「小学校に携帯持ってくるの禁止する」とか口走っていたけど。

ばかだなあ。一方的な禁止措置というのは、それこそ教育とは正反対の、罰則を伴った法制化とおなじことだろが。

教育というのは「理解させて従わせる」ことなんだから。
なんで携帯電話使っちゃいかんのか、きちんと生徒に説明して理解させた上で、「おまいら、じゃあ『携帯電話、学校で使わない』というルールにしたぞ」と納得させて、それに従わせる、でしょう。

納得ずくだったとしても、それでもルールを破りたがる奴はいる。当たり前。それが人間って奴なの。

そういう奴らに、世の中のしくみというのはどういうものか、ルールというのはどう機能し、それによって社会にどんなメリットがあるか、根気よく教えてゆくことが本来の教育だろが。

といっても人間って、教育でどうにかなることと、どうにもならないものってのがあるの。そういうことを承知している、その上で尚且つ「教育」に取り組める人ってのが理想なんだろうが。矛盾を抱えた存在である人間を相手にする覚悟ができてない輩が「教育」なんておこがましいって。

まあ「携帯禁止」に反対する保護者自身も、ほかならぬ携帯症候群なんだろうから。どっちもどっちだけど。

為政者が教育に口をはさむと碌なことにならない。かといって、「指導しきれないから『携帯禁止』に賛成」なんて情けない教師連中もどうしようもない。どっちも「教育(の効果)」を信じてないんだからどうしようもない。こんな人たちには無理だ。

もひとつ、「『携帯禁止』について、あなたは反対ですか/賛成ですか?」なんて、相変わらず馬鹿なインタビューを続けているワイドショーやニュース番組の皆さんにも、いいかげんにしてほしいもんだけど。

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悪の存在

いままでの枠組で捉えきれない、いままででは理解できないような事件が多発している。

     世の中は
     悪意に満ちいてると
     妄想を抱かせてしまう
     世の中の
     無意識の悪意

殺人事件など、起きてしまってはじめて目の前に晒されたかのように驚いたりしているけど、社会の側の矛盾や欺瞞・虚偽や腐敗はそこここに満ち満ちているじゃないか。

     俺は悪くない
     社会が悪いんだ
     と嘯く犯罪者にも
     ほんの僅かながら
     残された言い分

ワイドショーやらが、殊更「犯人の異常性」を取り上げるが、それこそ、その裏の社会的背景というものを掘り下げてゆくと、おもしろいものがでてくるはずなんだけどな。マスコミの本来の仕事はそこにあるはずなんだけど……あれ? いつのまにかマスコミひはんになっちゃった。

お口直しに。

http://jp.youtube.com/watch?v=SSg1AxVoG1I&eurl=http://pv.mickey.tv/video/1070000/1069674

     

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知ること/信じること

アポリア。

     知らずに
     信じるのは
     危険だが
     知ってしまったら
     信じたくない

     疑うのは
     易しいが
     信じるのは
     むずかしいよ
     神様

「知らぬが仏」ともいう。とにかく生身(なまみ)の人間を崇めるのは、馬鹿げているどころか危険でもある。「完璧な人間」?! 論理矛盾である。

  

  

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