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2009年1月17日 (土)

思い込みの危うさ

電車の中、病院の待合室、…いたるところ、というかところ選ばず、携帯の画面に熱中してる連中がいる。むかむかする。

今更携帯文化を否定してる訳じゃない。わたしだって利用している。そんな瑣末な事象ではなく、

これだけ不注意による事故、あるいは無差別殺人、理由なき暴力が溢れているにもかかわらず、自分に災いは降りかかってこない、自分だけは安全だとでもいうように、周囲に何の注意も払わずしれっとしてる態度に対して、だ。若い奴らだけじゃない、老若男女とも。

そんなにメールだのネットだのに興味があるなら、家でやってりゃいいじゃないか。わざわざ危険を冒してまで屋外でアクセスする必要があるのか。この場合の危険とは、本人のみならず、そのことで被害・迷惑を蒙りうる他人をも含む。メールしながら運転してて、携帯画面に気を取られて、というケースがどれほどあるか……、まあ実はそんなこたぁどうでもいい。

云いたいのは、

そんなに外の世界と交渉をもちたくないのなら、「じぶんは(当人たちこそが否定している) 閉じこもり、もしくは自閉症なのだ」と認めるべきだ。世界と没交渉のしている、暗い人間である、と。携帯イコール文明の利器を最大限に使いこなす、我こそは現代人なり、と無意識のうちに自己肯定できてこそ、そんな振る舞いが可能なのだろうけど。

自分の身が、さも実体のない「情報の集積体」かのように思い込んでいたとしても、ぶつかれば痛いし、刺されれば血が流れる。そんな生物としてあたりまえの感覚を無くしてしまった、捨て去ってしまったかのような振る舞いこそ、危険な思い込み。

     ああそうだった
     と気づいた後じゃ
     もう遅い
     人間は生身だ
     人間は脆い

     わたしは
     情報じゃない
     わたしは
     息をする    
     単なるいきものじゃない

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