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2013年6月25日 (火)

民主主義がわからない

ぎっぱくんが珍しく怒りを表明していた先の都議選結果。曰く「今回の選挙なんて、ただの消去法の結果だろ」と。

数週間前の小平市、都市計画見直しの是非を問う住民投票。市議会はその成立条件に「投票率50%(を超える)」を課した。実際の投票率は35.17パーセント。結果、開票すらされていない。一方、この都議選、投票率43.5パーセント。で勝った負けたと。

民主主義は「数の論理」という。この「論理」とはなにか。多数決だとする。

数が多ければ従う。それはそれでいい。しかし正しい/間違っているは、数では決まらない。政治は正しいことだけやってりゃいいってもんじゃない。そうかもしれない。

正しくないことを多くの人が信じ、それを推し進め、それ故に禍いを招いたとする。それは困る。だから、選挙による代表者選びをする。代表者が責任をすべて引き受けることで、投票者は責任を逃れられるように。嘘じゃない。憲法にこうある。「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」。

日本では代表者は責任を問われない。だって多くの人に選ばれた「偉い人」だから。「わたしたちの罪を被ってくれた」「わたしたちの間違いを体現してくれた」偉い人だから。大事にしなくちゃいけない。今度はわたしたちが「守って」あげなくちゃいけない、と考える。悪いのはわたしたちだ、と。

数の論理とは、この国では「より多くの人が、おなじことを感じ、おなじことを思い、おなじことを願うこと」だと信じられている。「そうでない奴は非国民」と。民主主義は「なんでもあり」ではないと思っていたが、この国ではそれでもいいようだ。

     民主主義は
     数の論理
     多ければよい
     多ければ正しい
     多ければ安心

     みんなが
     これでいいとすれば
     それが正しい
     それが安心
     それが真理

 

 

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