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2013年10月14日 (月)

ストーカーを産み続けているのは

根本を問えば、何事においても「教育」に行き着くんだけれども、それはそれとして。

まず、なんでこんなに、自身の欲望の充足のみに執着する人間、社会って他者がいて、それぞれに欲望や志向するものが異なっていて、こっちの言い分は簡単には通じないんだよってことを分かっていない人間が、あっちにもこっちにも出現するのか、です。

この世界は、自分の望み通りにはならないヒトやコトが溢れていて、それでもなんとか互いに折り合いをつけて、いっしょに築き上げていかなければならない社会に、おまえさんは生まれついてしまったんだよ、と、教育というか、まあ「訓化」だな、を、社会の側が「きちんとしっかりと(AB用語(笑))」行ってきたのか、と。

いや「そうだそうだ、徳育が必要だ」「教育勅語復古復活だ」という、毎度使い古しのフレーズを繰り返すつもりはまったくない。むしろ「徳育」とか「情操」とか、ある種のイデオロギーによる「囲い込みによる特化教育」を進めても、というか進めれば進めるほどそれだけ、こういった「訳わからんチン」が増えるのでは。

     オレの世界に
     他人はいない
     オレとおまえ
     ふたりだけ
     おまえはオレのモノ     

そうじゃなくて、小さい頃から、小さな事から失敗と再チャレンジを繰り返し、何事も「思い通りにはならないんだから、努力してできる限りの成果を上げよう」とか「世の中甘くねえなあ、でも努力すれば、思い通りにはいかないとしても、まあなんとかやっていけそうだわ」くらい、たくましく、ある意味図々しいくらいの胆の据わったガキが育つような、環境を用意してあげることと支援をしてあげることだと思う。

「お金がないくらいで死ぬな」というけれども、この厳しい貨幣経済下で、それこそ「死ぬ勢いで働かされて」「遣い物にならなくなったらポイって身分」だと「誤った訓化」されていたら、そりゃ自殺したくもなるでしょ? なんか根っこで繋がっているような気がしてしようがない。

 

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