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2019年5月25日 (土)

ウルトラマンは「神」ではない

先日、友人と交わした会話。「結局、ウルトラマンて、神でしょ?」

?? なにが結局だよ。

アルカイックスマイルが云々と、超人がどうたらと、それらこそが「神である証拠」なのだそうだ。なんじゃそりゃ?!

菩薩像譲りのアルカイックスマイル? それがどうした、似たような「微笑」ならばモナ・リザだってそうだ。しかも「菩薩」じゃねえか、「神様」の系列じゃねーよ。

超人イコール神? ハルクはどーする?
バロム・ワンだって、もともとはたけしとけんたろーだぞ。しかも二人の間の「友情」が壊れたままだと変身できないんだ。
しかし怪人どもが暴れているのに変身できないって、脅かされる生命や平和よりも大事な友情ってナニ?!


ではウルトラマンとは何か。

古谷敏『ウルトラマンになった男(小学館)』、遅まきながら読了。初代ウルトラマンの「中の人」の本(わたしにとっては『ウルトラセブン』ウルトラ警備隊のアマギ隊員)。

もともと望んだわけでもない配役、「中の人」を続けるうちの葛藤、慣れない着ぐるみ・特撮という特殊な環境下での誰も経験したことのない疲労・体調不良、特撮特有の「恐怖」との戦い、それでも期待に応えようと演じ続ける使命感…が、誠実そのものの口調で淡々と語られる(まさにアマギ隊員(涙))。

撮影開始以降、減り続ける体重、マスクを通しての視界は想像以上に狭く、独りではまっすぐ歩けないことも。水や炎、爆発・爆風の危険、それを物ともせず、撮影に怪獣に立ち向かう覚悟。演技を終え、着ぐるみを急いで脱いで、スタジオ裏に走り、胃液吐くほど嘔吐する…。

そうだったのか、ぼくらを守る為に脅威に立ち向かい、最後には胸を張り、空へと飛んでゆくウルトラマンは、画面の裏で、そんなにも悩み苦しみ、それでもぼくらの夢の為に、まるでなにかに突き動かされるかのように闘ってくれていたんだね。

ウルトラマンのすこし猫背のファイティングポーズ。そこに、恐怖と使命感のはざまで葛藤に苦しむひとりの青年の姿を見る。

ウルトラマンは神ではない。ウルトラマンは、その内に葛藤を抱えながらも、懸命に生きる「人間」だ。だからわたしはウルトラマンが好きなのである。

 

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