先代事業部長の呪縛
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で、ですね。話横道にそれますが。
先代が口を酸っぱくしてた「名は体を表す」、みなさん、いまだ引きずられてらっしゃる訳で(笑)。先代事業部長の呪縛、根強いですね。わたし当初から引っかかっていて、ずっともやもやしてたんですよ。もう…いいでしょ引退されたいまとなっては(苦笑)。
この言い回し、もともとは物事の様態を表したもので「名前というものは、名づけられたそのものの形や様子を表しているものだなあ」くらいの意味であって、「須らく名は体を表すべし」というものではないんです。「そうすべきものだ」という表現ではありません。当然例外もあります。
「TDL」は東京にはありませんし、「お手洗い」は手を洗うんでなく用を足すところ、「台風」は英語のタイフーンをもじった造語…、むしろ例外のほうが多かったりして。
で、です。もうそろそろこの呪縛から解き放たれるべきではないか、と。「ことばは正しく使え」「正しい表現を心がけろ」等々お叱り受けて(真に受けて)みなさんお悩みでしたよね?
「適切なことば使いを」と言われれば、そりゃ誰も反論できません。ただ、そればかりを求められたら息が詰まる。勢い、突っ込まれないような無難な言い回し、当たり障りのない表現になっちゃうんですよ、どうしても。それに慣れると、今度はなんとなく「かっこいい」「見栄えのする」方向に走ってしまい、「名は体を表」してはいるけど、中身は詳しくわからないことばが量産されます。そうなると、もう遣り取りがことば遊びになっちゃう。思い起こせば、空しい会話じゃありませんでした?
タイトルやラべリングについては「短いことばで」。そりゃおっしゃる通り。「箇条書きで簡潔に」そうせざるをえない。
しかしすべて「名は体を…」に拘っていたら、その内実が疎かになってしまう。先にあげた「確認」が実例です。
ですから、使い方を誤らないこと。特にマニュアルでの表記や一口標準の注意書き等は、より具体的で身体的なことばを多用すべきです。「誰かに/なにかを/まちがいなく/させる」為には、具体的な姿勢・動作、ハンドリング、その手順、…等々にまで踏み込んで、「誰もがわかる」ことばで表す、伝える、理解させることです。
そうして「わかる」ことばを探っていっても、どうしてもことばでは伝わらない、表現できないことが出てきちゃう。感覚的あるいは独特の勘どころ…、そういった部分こそ、ベテランに任せるしかない。OJTとは、そういうこと、なんです。教育・育成コストで欠かせないのは、実はその部分、「ことばで表現できない」「感覚的・職業的勘」の伝承なんです。
繰り返します。そろそろ「名は体を」のことば遊びから、実体を伴った確実な品質づくりにわれわれの意識をシフトしていきたい、そう考えます。
…と、だいぶ横道に逸れました、修正しましょう。
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