日々思うこと

生きる!Ⅱ

死のうと思ったことのあるひとー? はーい。
自殺未遂したことのあるひとー? はーい。

     死のうと思った
     自殺未遂した
     そんな経験を
     たくさんのこどもたちが
     経験している星

生きてるのがいやになっちゃったひとー? はーい。
それでも生きてゆこうと、
何の希望も期待も抱かずに生きてゆこうと
健気にも思えるひとー? ………。

返事なんかしなくてもいい、ゆらゆら揺らぎながら、怯えながら、胸張らずとも生きてゆこう、わたしと!

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生きる!

苦しくとも、悲しくとも、なにはともあれ。

     あなたは美しいか
     わたしは美しい
     もちろんあなたも
     汚れていようとも
     目に見えなくとも

『崖の上のポニョ』試写会視た渋谷陽一くん、えらく感動してたな。

 http://www.ro69.jp/blog/shibuya.html

「生まれてきてよかった。」

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図書館

これから図書館に借りた本を返しにゆく。

     どんなにちいさな
     街の図書館にも
     読むべき本は
     ちゃんとある
     ありがたさ

     ちいさな街で
     暮らす楽しみ
     道端の木々花々と         
     毎週通う
     ちいさな図書館

もちろんまた何かしら借りてくる。

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気が滅入る

もう日曜日。あしたからの仕事を思うと、いまから気が滅入る。

     今日とにかく
     生き抜こう
     明日はともかく
     未来はともかく
     生きてゆこう

いまの職場にいつまでたっても馴染めない。人間関係とか仕事の内容とかはともかく、あそこであの環境で仕事をするということ自体に、身体がついてゆかない。生理的な問題だからな。

     数え切れないほどの
     祖先がいたはずなのに
     いまのぼくは
     たったひとり
     ひとりぼっち

仕事の問題だけでなく、なんというかわたし自身の存在に関わる不安なのかもしれない。

     遺伝子は
     考えているか
     悩んでいるか
     悲しみも苦しみも
     知っているのか

そんな訳ないだろ?! 考えること/思うことは、人間だけが行う、人間特有の機能だというだけで、それがすべてを価値づける訳じゃない。

   

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人間その2

美しい廃棄物。輝ける汚物。

     人間は美しい
     人間は醜い
     どちらともいえず
     どちらともいえる
     人間にはわからない

     わたしより美しい
     わたしより醜い
     あの人には敵わない
     あの人よりまし
     まったく人間て奴ぁっ!

罅割れた壁画。仮面をつけた花嫁。

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家族

誰もが属するとは限らないけど。

     家族って
     いいなあと
     他人の
     家族を見て
     そう思う

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きょうだい

仲がよいとか悪いとか、どっちにしても関係は否定できない。

     三児の母となった
     妹は
     いまだに兄を
     お兄ちゃんと
     呼んでいる

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苦手なお絵かき

身近な人を描く。

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安息

今日ばかりは疲れて働けません。お休みします。

     お休みしよう
     灯りを
     消そう
     電池を
     抜こう

     ゆっくり
     昼寝だけ
     できる
     贅沢な
     午後

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錯覚

ほんとに、ごく微量の、あるかないかわからないくらいの、ささやかな幸福。

     完璧で
     隙のない
     幸福なんて
     だれも
     望んでない

     ほんとうは
     錆びついて
     綻びのある
     些細な幸福を
     望んでいる

   

    

    

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感謝

こうも寒い日が続くと、おひさまが恋しくなる。

     日が翳ると
     途端に
     寒くなる
     おひさまの
     ありがたさ

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反省(というか再開宣言)

ここのところ忙しく、それをいいことに怠けまくっていたが、そろそろ原点に戻って、過去の作品の掲載を再開しようと思う。もともと「行き場のない歌の拠り所」だったはずだからね、このブログは。

とはいっても肯定的な内容が少ないので公表したくても憚られるモノが多くてね…いっそ『怪獣墓場』とでもタイトル変えるかシーボーズ。

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年末

なんのかんの云ってもう年の瀬。年末の買い出しだ大掃除だ年賀状だと三連休の初日から。

     今年も
     押し詰まってまいりました
     毎年おなじように
     唯々慌しい
     年の暮れ     

「金がないのは首がないのと同じ」とは西原理恵子女史だったか、蓋し名言とすべし。

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幸福

この子はほんとうに幸福だろうか? 添い寝しながら考えている。もしあのまま、野良猫のままだったら今頃どうしていただろう。飢えて死んでいたろうか、あるいはもっと裕福で優しい人が拾ってくれただろうか。この子はいま、どう感じているだろう? 今こうして、わたしの右の手のひらを枕に、静かな寝息をたてて眠っている子猫。

西日のあたるリビングで、ひとりと一匹、お昼寝のできる冬の午後。このなんでもないひととき、わたしにとっては、かけがえのない時間。

この子と偶然めぐり合い、すこしずつお互いを知り、互いを受け入れ、やっとここまで辿り着いた数ヶ月という時間。いっしょにお昼寝する、たったこれだけのことができるようになるまでに費やした日々。

考えてみれば、すべては偶然。なにひとつ確かなものはなかった。わたしが引っ越してきて、この家に住み、この子が捨てられたか迷ったかして、ある日偶然巡り会えて、女房がたまたま辛抱強い女性で、毎朝毎晩この子だけに餌をあげ、すこしずつ慣れさせてくれ…すべては偶然にすぎない。にもかかわらず、わたしはそれを奇跡のように感じている、それを心からよろこんでいる。

いまここにわたしがここにいるということ。凡人がひとり、ここにこうして生きていられること。そして、たくさんの小さな偶然が、奇跡となって取り巻いていてくれるということ。 

     右手の
     手のひらを枕に
     寝息をたてている
     この子
     この奇跡

いまこの子がほんとうに幸福かどうか、確かなことはわからない。けれども、いまこの時幸福であってほしい、心からそう願う。もしそうであったとしたら、いまこそが永遠であってほしいと、本気で祈っている。

いまこの時、いまこの時こそがすべて。いまここ、この時こそが幸福。ここが出発点であり、ここが到達点。この子に対して、そしてこうさせてくれている周囲のすべてに対して、感謝したい。それを、感謝の対象すべてを、もしかしたら神と呼ぶのかもしれない。だとしたら、やっと神を信じることができるんだと思う。神とは私を含むすべての存在なのかもしれない。

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おにぎり

コンビニのパリパリ海苔のおにぎり。ありゃあチンしちゃダメなんだね。海苔が水分吸って、喰いちぎれなくなっちまう。

     くたびれ果てて
     銭湯にも間に合わず
     それでもコンビニの
     おにぎりがご馳走だった
     バンドマンだった昔

だいたい電子レンジなんて、わたしの部屋にはなかったよ。
     

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ヴィーナス

ミューズに続いては、なんといってもヴィーナス。ほんとはアフロディーテなんだろうけど。

昔作った歌。わたしの歌のなかで、もっとも有名か?!

     美しい
     あなたは
     まっすぐ
     わたしを
     みつめる

わたしの中のヴィーナスは、二コール・キッドマンに似てる(笑)。いやほんとにそうだったら、みつめられただけで死ぬな、んなこたないか。アンジェリーナ・ジョリーでないことは確か(ごめんB・ピット)。

     

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ミューズ

わたしが「書いた」とする一連の歌のなかに、どう考えてもわたしの(普段の/日常の)思考から生み出されたものではなさそうな歌、というか書けそうもない歌が存在する。

もちろん潜在意識とか第六感とか説明はつくだろう。ただ、本人含め、そういういわゆる「(人文)科学」的な解説で納得したくはない。もっと、こう、感覚的なものなんだ。たとえば…

わたしのこころの中にはミューズが住んでいる。女神は湖のほとりに住み、歌を紡ぐ。女神は歌い、湖はその調べを浮かべる。湖からはじまる細い流れは、途切れることなく、だれかの心の岸辺へ流れ着く。

わたしはきっと、それをいつも待ってるんだ。ビンの中のメッセージのように。遠く南の国から流れ着いた椰子の実のように。女神からの啓示。

彼女を思い浮かべようとしてみる。その姿、その声、その瞳。うまくいかない。いく訳がない。それほど大した想像力を、わたしは持ち合わせていないんだ。

せいぜい、グゥイネス・パルトロウかケイト・ブランジェットに似た細身の美女だろうくらいにしか。いやユマ・サーマンじゃないだろう(IQ160?!)とか、そんな程度の、貧しい想像力。いやほんと、笑い事でなく。

女神はわたしのなかにいる。ミューズはわたしとともにいる。かなしいのは、彼女はわたしを知っているが、わたしが彼女を知らないこと。

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カテゴリー整理

「まずはやってみよう!」と、とるものもとりあえず始めたこのブログ。その時その時の思いつきを継ぎ足し継ぎ足した結果、非常にまとまりのない読みにくい構成になってしまっておりました。

いままでのようにただ日次にタイトルを羅列するのではなく、すくなくとも「何について詠った歌」か目安としていただくべく、カテゴリー項目を一新しました。多少なりとも参照・検索がしやすくなればなあ、と思っております。

とはいえカテゴリー分けするのはわたし自身ですから、「なんでこんな歌がこんなカテゴリーに!」という不整合・不可解など多々あるかと。いずれにしても初めてのブログ経験。失敗を繰り返しながら学んでゆきたいと思います。言い訳と共にぜひ御理解のほどを。

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叔父

叔父の三十三回忌に、女房が墓参りに行ってくれた。わたしからはあまり話してはいない叔父のことを、母も叔母も妹も、やはりあまり教えてはくれなかったと、女房。ただ「わたしがいっしょにいるのが当り前のように、いつも通り普段どおり三人とも微笑んでいたよ」と。母も叔母も妹も、それぞれにたくさんの思い出を抱えてはいるが、あの笑顔だけを思い出していたのだろう。

     叔父は
     早く亡くなり
     遺された家族は
     忘れようとも
     忘れまいともしなかった

病気がちではあったが、明るく背の高い、なかなかの男前だった(かな?/笑)。本をよく読む人ではあったが、長い入院生活がそうさせたのかもしれない。反面、結構おしゃれで、質のよい輸入物のシャツやタイをたくさん遺していってくれた。もちろんわたしがいまも愛用している。

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ちょっとだけ反省

さっきギッパくんに「ブログなんだから歌の前後に、その解説やコメントをきちんと書いて、読みやすいよう工夫せよ」と怒られてしまった。奴はすっかりマネージャー(?)気取り。でも確かにその通りかと。
いまのままじゃ電車の中で大声で独り言云ってるようなもので、どんなに大した物言いでも誰も耳を傾けはしない。もっと「親しみやすくわかりやすく」すべきだと。

が、「思ってること全部を書いてやろう」なんて奴はバカだ、言いたいことのエッセンスが歌なんだから余計なことは一切要らない、という気持ちも一方ではある。

     悟る
     間違いに
     気づく
     考える
     ふりをする

いずれにせよ、これからは多少なりとも「読んでいただく」ことを前提として、UPしていこうと思う、いや思います。できれば皆さん、遠慮なく忌憚なき意見をコメントとしてあげていただければ今後の励みともなり、幸いです。これからもよろしくお願いします。

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銀座で

仕事の帰り、「ああそうだ、あの写真展もうすぐ終わりだな、ちょっと寄ってこう」と新橋に向かって歩ってたら、いきなり女の子から「こんにちは!」って、でっかい声で呼び止められた。

いや一瞬呼び止められたと思ったんだけど、続けて「わたしリカちゃん」と。ズゴーっ。意表つかれたのと突拍子もない大音量で、思わず仰け反ってしまった。すでにクリスマス商戦か博品館。

     きれいな字の書ける
     きれいに化粧できる
     なんの罪もないかのような
     女の
     振る舞い    

でももうちょっとボリューム落とさない? 人形のわりに声でかいぞ香山リカ。 おじさん縁石踏み外すところだった。

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もうひとり

このブログには重要な投稿者がいる。ときどき長文のコメントを載せるギッパくん(旧ギララガッパくん)だ。
古くからの友人である彼は、わたしの作品のほとんどすべてに目を通してくれ、彼が「いいなあ」と感じた歌がここに掲載されている。いわば選者だ。6年かけて貯めた6千の歌ひとつずつを、数ヶ月かけて丁寧に読み込んでくれた。

     人間とは
     その決意とは
     裏腹に
     徐々に変わってゆく
     ものらしい

わたしの歌のほとんどすべてを読み通してくれたのは、全人類のうち、いまのところ彼ひとり(というか「歴史上(笑)」ただひとりとなるだろう、生き証人)。「閑だったんだろうな」と呆れてもいるが、もちろん感謝してもいる。ので、このブログで、彼には好きなことを書かせてあげようと思う(だれのブログなんだ/笑)。

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お墓について

なにせ田舎に住んでいるもので、このあたり『○○メモリアルパーク』とか『△△霊園』といった共同墓地が林立(とまで云わないが)している。南向きの山の斜面を切り開き区画整理のしてある、いわばお墓の住宅地。

     広告に
     載っている
     美しく
     暮らしやすい
     集合墓地

ひさしぶりに父方の先祖の墓参りに行ったが、お寺の裏の墓地は山頂に向かいずいぶんと拡張されていて吃驚。『へぇ、いつの間に…』となんとなく石段を昇り、途中で振り返って眺めると、これがまたちょっとした景観。

昇るほど真新しい墓石や石塔が幾つも建てられていて結構な賑わいぶり。生きているうちはもちろん、「日当たりが良くて」「見晴らしが良くて」「広々として」と死んだ後の事まで心配なんだろう、ここに葬られる人たちは。

     切り開いた
     山頂に
     あとすこし
     迫っている
     墓地

毎年何回か訪れる母方のほうの墓は、更にうんと山奥で、クルマを途中に停めて、山道を歩いて登ってゆく。裏手は山の斜面、手前は一面の畑。きっちり区画が区切られている訳ではなく、角の丸くなった墓石や変色した卒塔婆が立ってなければ、ただの空き地。長閑といえば長閑。

苔むした墓石に水を遣り、縁の欠けた泥のこびりついたガラス瓶に切花を挿し、型どおりに手を合わす。

朝早いのもあって、周りには誰もいない。もっとも農家の方ならもっと早起きで今頃は朝食でも召されてるだろう。営林署が管理している裏山は綺麗に伐採されてはいるが、かえってそれが薄ら寒い。遠くで鳥の声がするだけ。なんとはなしに「こんなさみしいところに、ご先祖(の霊)はいないだろうなあ」とぼんやり思う。

西欧には、立派なお墓がたくさんあるんだそうな。たとえばキリスト教には、最後の審判という大イベントが予定されていて、いずれ(近い将来?)開催されるという。それには既に死んでしまった人たちまでも出演が強制されているようで、そのためには死んだ後も何があっても魂の宿る肉体(?)が損なわれないよう、頑丈な石棺や石造りの室など等が必要となってくるだろう。そりゃそうだ、出番が迫っても自分の身体が塵と朽ち果てていたら、ゾンビ映画でも出番はない。

     測量して
     きっちりと
     収まる
     棺を納める
     穴

「いずれはお骨を土に返してあげたいねえ」と母はいう。「自然に還す」のだそうだ。人として生きた命もいずれは土に還ってゆく。諸行無常、盛者必衰、云々…、日本人らしい感覚なのだろう、わたしにも半分くらいは同意できる。

霊の存在だとか前世だとか、わからない。ただそれがあったとして、いつまでも生きていたときの意識とか自我を持ったままだとしたら、それはとても不幸なことだと思う。足かせでもあり限界でもあった肉体(物質)から抜け出せたのだから、物理的な制約は相当に軽減されているはず。生きている(た)間に比べたら格段に「自由」であろう。にも拘わらず、いまだ「不自由な」生に拘り続けるとしたら、それこそは煩悩というべきだろう。

「自然に還す(還る)」というのは、そういった「生きているうちに味わった」一切の思いや感情から解き放たれて、それこそ生まれる前の(あるいは生まれた時の)まんまの自然状態に戻ってゆくことだとしたら、とても共感できるのだけど。宗教が「宗教」して信仰される以前の、この島国に生きていた昔の人たちは、どう思い感じていたんだろうか。

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